岐阜まちなか歩き

齠ケ沿いに見つめています
'14/10/30


 
道路を車で走っていると、誰かから見られている感じがします。
ここは市道松山大浦線、円空ロードと呼ばれている道です、羽島市円空顕彰会の会員により制作された彫刻が、道路両端に設置され道行くドライバーにやさしくほほ笑んでいます。

円空(えんくう)とは江戸時代の仏僧であり、仏師でもあった人物です。
現在の岐阜県の生まれです。
説として現在の羽島市生まれ説と郡上市生まれ説の2つがありますが、円空学会理事長らの考察によって羽島との説が有力であるそうです。

長良川の洪水で死を遂げた母の供養のために出家したと言われ、行基の徳を慕って全国を行脚する放浪の旅に出ました。
放浪の中で庶民の幸福を願い12万体の造仏を誓願し、行くさきざきで仏像を彫っては各地を行脚した修験者でもあります。

行脚したのは、北は北海道・青森、南は三重県、奈良県までおよぶと言われています。
多くは寺社や個人所蔵がほとんどであります、その中でも岐阜県・愛知県をはじめとする各地には、円空の作品と伝えられる木彫りの仏像が数多く残されてます。
北海道や東北に残るものは初期に作られた像が多く、岐阜県飛騨地方には後期像が多いそうです。
多作だが作品のひとつひとつがそれぞれの個性をもっています。
その数は、生涯で12万体あまりの仏像を作ったとされています。
びっくりする数ですね、64年間の生涯で単純計算しても年間で1800体以上の仏像を製作していたことになります。

そして何のために像を作成したか、民衆を苦しみから救うため、悩み苦しむ人には菩薩像を、病に苦しむ人には薬師像を、災害に苦しむ人には不動明王像を、干ばつに苦しむ人には竜王像を、限りある命を救うために阿弥陀像などを刻み歩いたようです。
と、円空連合HPに書かれています。

羽島市は円空上人生誕の地であり、円空上人の偉大な事業を讃えるため、市内では多くの円空モニュメントが存在します。
その一つが円空ロードで、数十体のモニュメントが道に置かれています。

名鉄竹鼻線竹鼻駅より南、東西に走る道路です。
※取材時と内容が変更になっている場合がありますので、お出掛けの前に、詳細は電話にてご確認ください。

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