岐阜まちなか歩き

黷ィ寿司
'14/07/30


 
御鮨街道とは、お寿司屋さんが沢山ある街道ではありません。
御鮨街道、鮎鮨街道と言われるこの街道は、江戸時代将軍家などに鮎の熟鮨を献上するために使われた道です。

岐阜〜江戸へは、御鮨街道を南下して一部中山道を通り尾張の国に入り東海道で江戸に向かう道のりです。

将軍家などに献上する熟鮨は、長良や小瀬の鵜飼で獲れた鮎を使い、鮨を作る為の他の材料については桶の材料は木曽、竹は長良、包みのゴザは岐阜町から調達しました。
鮎は塩漬けにした後エラなどを取って腹に飯を詰め鮎桶に並べ、水を通した飯を上からふりかけ、これを繰り返して鮎桶にいっぱいに漬け込みます。
これが運ばれるうちに発酵し、江戸に着くころに熟鮨に仕上がっていました。
この作業を行ったのが御鮨所と言われている場所です、このほか鮎の加工品として塩漬け、粕漬け、干し物と様々に加工され江戸に運ばれて行きました。

当初、岐阜町が幕府領の時代元和元年(1615)から江戸に運ばれるようになり、元和5年(1619)から岐阜町が尾張藩領になると、尾張藩から幕府への献上品となりました。
毎年5月〜8月まで約4000匹分が10回程度に分けられ、岐阜より江戸まで昼夜を問わず4日、5日間程度で運ばれました。

概ね岐阜を出発するのは夕刻で、加納、笠松と中継され岡崎あたりで夜明けを迎えていたようです。
岐阜から尾張までは夜の運搬ですから庶民の印象は薄かったかもしれません。

鮎の進物は尾張藩だけでなく富山藩などでもみられましたが、岐阜の鮎の熟鮨は質、量とも最高だったと言われています。

御鮨街道は岐阜街道、尾張街道など様々な呼び方で言われていました。
岐阜町から伊奈波神社の参道を横切り、岐阜町の堀を越え楽市場(橿森神社前)を南下して中山道加納宿に入り、茶所で中山道を離れさらに南下をして笠松に行きます。
そこから木曽川を渡り東海道を目指します。

御鮨街道ウォーキングとして毎年秋に催しがあります、昔のいでたちで草鞋を履き岐阜町より笠松まで歩きます。
所々で街道の説明があり、鮎雑炊などの振るまいがあります。
※取材時と内容が変更になっている場合がありますので、お出掛けの前に、詳細は電話にてご確認ください。

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