岐阜まちなか歩き

黷ヲっ宮本武蔵!
'17/11/21


 
臨?山大仙寺(だいせんじ)は岐阜県加茂郡八百津町にある臨済宗妙心寺派の寺院。
永保寺、正眼寺とともに美濃三道場と呼ばれた古刹です。

如幻尼により寛正元年に臨済宗南禅寺派の不二庵として開かれる。創建当初は現在より南の黒瀬にありました。
明応元年(1492年)に東陽英朝が入山する。文亀元年(1501年)に土岐政房の外護により新たに伽藍を整備して臨?山大仙寺となった。
山号は木曽川を臨済寺の近くを流れている?沱河に比して名付けられたものである。永正元年(1504年)には土岐氏の祈願所となりました。

戦国時代に土岐氏が衰退するにつれ寺勢が衰えるが、江戸時代に入り八代目住持となった愚堂東寔が現在地へと移し中興を果たしました。
現在伽藍にある地蔵堂や方丈は愚堂禅師の時代のものであります。


宮本武蔵が禅の修業をしたという大仙寺。八世住職。愚堂国師に師事したと伝えられています。
八世住職、愚堂国師に師事したと伝えられています。

今から400年余前、剣の修行中であった宮本武蔵は京都大徳寺の沢庵和尚について禅の修行も行っていたが、沢庵和尚が晩年を迎え美濃の大仙寺へ行くことを薦めました、
武蔵は大仙寺の愚堂国師について修行したと伝えられています、その時の武蔵が坐禅をしたといわれる石が残っています。
愚堂国師は、京にいた頃沢庵和尚と禅問答をするほど名僧侶であったと伝えられています。

武蔵がこの寺に来たのは佐々木小次郎との巌流島での決闘の後に、剣術の鍛錬だけでは得る事の出来ない新境地を求め来たと言われています。
入門を請うために三日三晩この石の上で座禅を組んだと伝えられる。三日三晩におよぶ坐禅が功を奏したのか武蔵は入門を許され、しばしこの寺で修行に励んだとも言われています。

美濃三道場(永保寺、正眼寺、大仙寺)といわれ妙心寺派別格地として栄えた経歴を持っています。
江戸時代この地に移転して以来大きな災禍にも遭わず数多くの文化財が残っています。

岐阜県指定の文化財としてつり手縄文土器、万里集九賛ハゝ鳥、蒙山徳異紙本達磨図、絹本著色東陽英朝頂相、絹本墨画蘭石図、東陽英朝書跡及び愚堂東寔書跡を所蔵し、また八百津町指定の文化財として愚堂東寔頂相などを有してます。

名鉄広見線御嵩口駅より車で約15分、徒歩約1時間(5.3km)。
※取材時と内容が変更になっている場合がありますので、お出掛けの前に、詳細は電話にてご確認ください。

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