岐阜まちなか歩き

齟山道の古民家
'17/11/09


 
中山道御嶽宿商家竹屋は、江戸時代の主要街道中山道の宿場町、御嶽宿のなかに位置しています。

主屋は明治10年(1877)頃の建築と推定され、街道を人や物資が往来し大きく賑わいをみせていた頃からの豪商として、宿場内での役割を果たしてきましたそうです。
そのたたずまいは、商家にふさわしい質素で風格のある造りが成され、今日では徐々に姿を消しつつある江戸時代の建築様式を色濃く残す建物といえます。

平成9年には、このうち主屋並びに茶室が御嵩町指定有形文化財になり、修復整備を終えた平成15年3月に竹屋資料館として開館しました。

商家竹屋は江戸時代末期、本陣を務める野呂家から分家し商いを中心として代々受け継がれてきました。
天保13年(1842)の御嶽宿宿並絵図によれば、本陣の東隣に組頭としての記載が見られるほか、宿内で2軒ある商屋のうちの1軒でした。
その家業は本陣と並んで御嶽宿一体の大地主であり、年貢米を最も大きな収入源としていました。
明治後期以降は蓄えた財をもとに株式投資や名古屋では竹屋街と呼ばれる借家街の経営を行っていました。

竹屋4代目当主の野呂静氏は、大正5年頃には名古屋にも居を構え、電力事業会社やアメリカ製自動車の輸入販売会社の社長を務めるなど、実業家として幅広く活躍しました。

主屋、切り妻2階建てで中山道の北側に建っていて、中央の土間を挟む東側に店・中の間・居間・表座敷・奥中の間・奥座敷と整形6間取りし、西側には下店・板の間・台所があります。
また北奥には明治末から大正期にかけて、分棟式ながら主屋にうまく接続された炊事場が増築されています。
一般的な住宅とは異なり、店舗を目的とした造りの建物といえます。

茶室、木造平屋建柿葺きで中庭をはさみ、主屋と結ばれている茶室には、4畳半2部屋から構成されています。
明治36年(1903)の相宅図には、茶室が記されていないことから、それ以後に建築されたものとみられ、口承では地内の寺院から譲り受け移築下とも言われています。

土蔵、切り妻2階建で建築年代は主屋よりものちの大正年間頃と推定されます。
商家竹屋に伝わる調度品などが収納され、大切に保管されてきました。

名鉄広見線御嵩駅下車徒歩5分程度にあります。
※取材時と内容が変更になっている場合がありますので、お出掛けの前に、詳細は電話にてご確認ください。

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