岐阜まちなか歩き

ミイラのある寺
'17/07/30


 
いきなりミイラとありますが、紅葉の名所でもあり秋の行楽シーズンには特に多くの参拝客が訪れます、秋のシーズンにもみじまつりが開催されライトアップが行われています。

横蔵寺(よこくらじ)は天台宗寺院、山号は両界山、本尊は薬師如来、西美濃三十三霊場第一番札所です。
この場所は、谷汲山華厳寺の西方からさらに奥まった山間の小さな盆地に位置します。

沿革については史料が乏しく、平安時代末期ころまでの寺史はほとんど分かっていないそうです。
伝によれば、横蔵寺は日本天台宗の宗祖・最澄が自作の薬師如来を安置して創建した寺とされています。
最澄は比叡山延暦寺を開創する際に本尊薬師如来像を自ら刻ずみ、その薬師如来像を造ったのと同じ霊木から、もう1体の薬師如来像を造ったそうです。

その2体目の薬師如来像を笈(おい、山伏や山林修行者が背中に背負う箱状のもの)に入れて背負いながら諸国を旅し、延暦22年(803年)横蔵寺のあるこの地まで着いた。
すると薬師如来像が動かなくなったので、ここに一寺を建立して薬師如来像を祀ることにし、地元の三和次郎大夫藤原助基が寺を建立したと言われてます。(創建年は801年もしくは805年と言われてます)
この寺が延暦寺と関係の深い寺院であることを示唆しているといえます。

創建当時の横蔵寺は、現在地からさらに1.5キロメートルほど奥に入った円山の頂上付近にあり、現在地に移ったのは近世初期であります。

現存する仏像の中で、大日如来像(重要文化財)には平安時代最末期の寿永2年(1183年)の銘があり、同年三重塔の本尊として造立されたことが明らかになってます。
金剛力士(仁王)像には、建長8年(1256年)の銘があり、作者は鎌倉時代を代表する仏師の一人である肥後別当定慶であることがわかっています、寺史に関する史料の乏しい中で、これらの仏像の像内銘は貴重なものであります。

元亀2年(1571年)織田信長公の兵火で焼失し、現在ある本堂・三重塔・仁王門などの主要伽藍は江戸時代に復興されたものです。
比叡山焼き討ちによって延暦寺の伽藍が灰になった後、横蔵寺の本尊薬師如来像は、延暦寺本尊と同じ霊木から造られた、最澄自作の像という由緒ある像だということで延暦寺に移されました。
その代わりに、洛北の御菩薩池から移されたのが、横蔵寺の現本尊である薬師如来像であります。

多くの文化財を有する寺として知られるとともに、ミイラのある寺として知られています。
舎利堂に安置される舎利仏すなわちミイラは、妙心法師という人物の遺体であるそうです。
寺伝によるとミイラは1781年生まれ、本名は古野小市郎熊吉と言い母親が亡くなったのをきっかけに長野の善光寺で仏門に入り、妙心と改名しました。
妙心さんのミイラ仏は人工的な手を加えていない自然のままのミイラで珍しいものなんだそうです。

いろいろな見所のある横蔵寺ですが、やはり一番のシーズンは最初に書いたように秋です。
飛騨・美濃紅葉33選に選ばれ、風格ある建物と鮮やかな紅葉のコントラストはため息が出るほどの美しさです。
11月第3日曜日には「横蔵もみじまつり」実施、11月にはもみじのライトアップも実施され、例年の紅葉の見ごろは、11月上旬〜下旬位です。

養老鉄道養老線揖斐駅から揖斐川町コミュニティバス(名阪近鉄バス)横蔵線で約45分終点横蔵下車ですが、車のほうが良いと思います。
※取材時と内容が変更になっている場合がありますので、お出掛けの前に、詳細は電話にてご確認ください。

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