岐阜まちなか歩き

齔M仰の山の神社
'16/10/31


 
創建年 養老元(717)年 高賀山(1,224m)の麓にあって、二十三柱もの神々を祀り、妖魔退治伝説を今に伝えています。
岐阜県関市洞戸高賀にある神社であります、別名高賀山大本神宮、高賀山を囲む高賀六社の一社、旧社格は郷社。

岐阜には白山信仰があります。
白山が信仰の対象として仰がれるようになったのは、大化(たいか)(645〜650)前代のことされています。
白山信仰は、白山に源を発する九頭竜川(福井県)・手取(石川県)・長良川(岐阜県)流域の人々の間から、また相前後して日本海で白山を航路案内とする漁民の間から自然に発生したものと考えられています。

高賀神社の始まり(高賀宮記録より)は、霊亀年中(710年代)何処ともなく夜な夜な怪しい光が空を走り丑寅の方角へ飛んで行くのを都の人たちが見て驚きました。
都から見て東北の山々、すなわち高賀山を探したが見つけることは出来なかったそうです。
そこで、高賀山麓に神壇を祀ったところ、光が現れなくなったそうで、これが高賀山本神宮の始まりだと言われています。

その後、高賀山一帯に牛に似た妖怪が住み付き、村人に危害を加えたので、平承3年(933)藤原高光が御門の勅命によりこれを退治した。
このとき再び妖怪が住みつかないように高賀山の麓に神々を祀りました。
天暦年間(947〜957)には、キジの鳴き声をする大鳥が村人を困らせたので再び藤原高光による魔物退治が行われ、この時高賀山麓の六ヶ所に神社を建立したとされています。

鎌倉時代以前高賀神社の境内に蓮華峯寺が建立されます、高賀神社と蓮華峯寺を合わせて、西高賀山蓮華峯寺と称していたと言われてました。
永正14年(1517)火災により焼失しますが、江戸時代に再建されされています。
明治2年(1869)神仏分離令による廃仏毀釈の影響で蓮華峯寺は廃寺となります。
僧侶の手で一部の仏像は持ち出され、高賀神社から約1.5km離れた観音堂に納められます、これが現在の蓮華峯寺である。

高賀山を主峰とした山(瓢ケ岳、今渕ケ岳、片知山など)の山麓にあり、高賀山を囲む六つの神社。
かつては六社めぐりという、この六つの社を尾根伝いに一日で歩いて巡る苦行が存在しました。
高賀神社(岐阜県関市)、那比新宮神社(岐阜県郡上市)、本宮神社(岐阜県郡上市)、星宮神社(岐阜県郡上市)、瀧神社(岐阜県美濃市)、金峰神社(岐阜県美濃市)の六つの神社です。

江戸時代前期の天台宗僧侶、円空は全国行脚の中で数回高賀神社を訪れ修業を行なっています。
そのうち確実なのは寛文11年(1671)、貞享元年(1684)、元禄5年(1692)の3回あります。
円空はまた最晩年をこの地で過ごしたと伝えられ、円空仏の最後の作と言われている歓喜天像ほか、多数の仏像が高賀神社に奉納されているそうです。

円空が晩年すごした地であることから、高賀神社伝来円空作仏像群として岐阜県指定重要文化財となっています。
大半は平成7年(1995年)に開館した関市洞戸円空記念館に保管されています。

岐阜バス板取線高賀口バス停より徒歩40分ですので、車で行かれる方が良いかも。
※取材時と内容が変更になっている場合がありますので、お出掛けの前に、詳細は電話にてご確認ください。

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