岐阜まちなか歩き

齡濃太田うだつのある建物
'14/03/05


 
うだつのある建物、うだつのある街並みで美濃市が有名ですが、ここ美濃加茂市の中山道美濃太田宿にもあります。

中山道51番目の宿場である太田宿の脇本陣として機能していました、旧太田脇本陣林家住宅。

林家は、初代市左衛門が現在地に屋敷を構えて以来、脇本陣の他、太田村の庄屋や尾張藩勘定所の御用達も務めていました。
質屋や味噌醤油の製造販売も営んでた旧家です。
最盛期には、東西25間の間口・土蔵9棟・馬屋3棟・離れ座敷などを持つ壮大な構えでした。
いつ頃建てられたかと言うと、主屋のうだつの鬼瓦に銘が書かれていて、明和6年(1769年)と判明したそうです。

街道の南側に北向きに建っていて、切妻の両端には立派なうだつが設けられ家の権威と格式を示してます。
くぐり戸広い土間の吹き抜けがあり、梁組・大きなかまど・黒光りする太い柱と板間、そして奥につながる座敷の気品ある造り、典型的な町屋造りです。

昭和46年に主屋・表門・質倉(しちぐら)・借物倉(かりものぐら)が国重要文化財に指定されました、続いて平成12年に、隠居家(いんきょや)・附便所・附井戸屋・附塀5棟・宅地などが追加指定されました。

現在の建物は、文政12年(1829年)の家相図に基づいて修復されているそうです。
建てられて以来たび重なる水害や虫害を受け、建物の他に塀や石積が崩れるなど全体に痛みが激しい状態でした。
平成13年度に隠居家・附塀などの調査を行い、平成14年度から平成17年度まで、国庫補助事業として修理が進められました。
建物は一列三室型の町屋形式ですが、室内の数寄屋風(すきやふう)の造作に隠居家らしい趣があります。

この建物は、中山道において脇本陣としての遺構を当時のまま残している建物です。

明治15年(1882年)自由党の総理板垣退助の泊った記録があります。
岐阜公園で暴漢に襲われ「板垣死すとも自由は死せず」と叫んだのは、脇本陣をたった翌日であったことは有名な話しだそうです。

JR高山本線美濃太田駅から徒歩で南へ約15分。
駅前のホテルにレンタサイクルあり無料ですが預かり金が必要。

みのかも文化の森資料参考
※取材時と内容が変更になっている場合がありますので、お出掛けの前に、詳細は電話にてご確認ください。

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