岐阜まちなか歩き

齡濃和紙を全国へ
'18/02/27


 
川湊灯台のある上有知湊、住吉型川湊灯台は県の指定文化財です。(指定年月日 昭和45年10月27日)

金森長近は、関ヶ原の戦いの功により徳川家康から美濃国上有知(こうずち)に領地を受け、飛騨高山藩領となりました(約2万石)。
その後、長良川畔の小倉山に小倉山城を築城しました。
1606年に小倉山城の東側に城下町を設け上有知町の町割りがほぼ完成します。

上有知川湊を開設、番船40艘有り。
美濃和紙・荏胡麻・生糸・酒ほかの輸送基地として、上流から運ばれる木材運搬の中継基地として、水運物流の要所として栄えました。
江戸時代末期に住吉神社の献灯を兼ね、住吉灯台(川湊灯台)が建設される、高さ約9m。

明治末年電車が開通するまで水運の要点でした。 
この住吉灯台は水の守護神、住吉神社の献灯を兼ねて江戸末期に建てられ、夜毎川面を照らしていました。
川湊の灯台として現存する全国的にも珍しい貴重な建造物であります。

今はわずかにかつての上有知湊を象徴するかのように川畔に建つ高さ9メートルの長良川港灯台と舟着場への石段、舟運の安全を祈るために奉祀された住吉神社、文化年中、郡上連中が奉献した石灯籠などが昔を物語る姿をとどめるだけであります。

舟運は陸送(道路や車が発展する前)に比べ、経費が安く一度に大量の荷物を運ぶことができます。
とくに木曽川・長良川・揖斐川の三川とその支流が網の目のようになっている濃尾平野では舟運が盛んで、地域の産業や生活を支えていました。

この川湊からは、江戸時代が終わって明治以後も、美濃和紙や曽代糸(生糸)・茶・林産物などが積み出され、桑名や四日市、名古屋(熱田)など伊勢湾の湊町と往来を頻繁にしていました。
そのころ岐阜市域の川湊からの川船を入れると、長良川を行き来する川船は、ますます多くなっていました。

上有知湊から岐阜・中河原湊、長良湊への所要時間は下り3時間、上りは9時間かかったそうです。
上流へ向かう時は帆を張って風の力も利用するのですが、人力で引き上がることも多くあったそうです。

一番の荷は美濃市の文化美濃和紙です。
紙の文化は、正倉院所蔵の戸籍に始まる美濃和紙の歴史です。
連綿と続けられてきた紙漉きの歴史は約1300年を数えます、手仕事ならではの風合い、秀逸性は今も変わることはありません。
今では職人の数は減りましたが、「美濃和紙でなければ」の需要がある限り、川湊に変わり陸送などで運ばれています。

岐阜バスで岐阜美濃線(B87)中濃庁舎行き、美濃小倉公園前(1時間強)バス停下車5分程度です。
※取材時と内容が変更になっている場合がありますので、お出掛けの前に、詳細は電話にてご確認ください。

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