岐阜まちなか歩き

齔M長の攻めより護る
'15/07/31


 
木造毘沙門天像は、大正4年3月26日指定の国指定重要文化財です。
本像は岩滝山毘沙門堂の本尊です。
像高155.2cm桧材を用いた寄木造り、玉眼の入った彩色像で寄木は頭・体部ともに前後二材を両側で矧ぎ付け、頸部を矧ぎ内刳りを入念に施しています。

四天王通形とうりぶん怒形にて目をみはり口を開いて、体部には甲冑をつけています。
左手には、宝塔を捧げ右手を上げて三叉戟をとり、腰を左にひねり右足う側方に踏み出し、邪気を踏まえて立つ姿と怒号する表情は見事で、充実した緊張感がみなぎっている。
光背は輪光で三方に火焔を付け、台座の邪気は右向きである。
制作年代は鎌倉時代初期と思われる。

本像は本堂裏の収蔵庫に収められており、毎年1月初寅の日と8月15日に開扉されます。

ここには伝え話があり、その話に信長公が出てきます。
戦国時代のある夜のこと、傷だらけになった3人の武将が、この岩滝山の法花寺に信長軍に追われ逃げ込んできました。
仁王門前で疲れ果てた3人は眠り込み、翌朝村人が3人を見つけ和尚と相談しました。

和尚は、傷口に酒をかけ体を拭くように命じてから、水を含ませた紙玉を竹筒に入れ吹いて仁王様の体に当てるように言いました。
武将の傷口と仁王様の同じ場所に当て、後は毘沙門様におすがりするのです。
和尚が祈り始め、村人達は何回も仁王様に紙玉を当てました。

何日も毘沙門様と仁王様に祈りを続けひと月ほどすると武将たちは元気になりました。
3人はこの御恩は生涯忘れまいぞと和尚や村人に頭を下げました。
その後3人はお寺の掃除や村の子供たちに手習いを教え、穏やかな日々を過ごしていました。

しかし穏やかな日は続かず、信長軍はお寺の近くまで押し寄せて来ました、大軍を相手にしては勝ち目もなくお寺のあちこちから火の手が上がりました。
武将たちは、毘沙門様と仁王様を護るために裏山に穴を掘り、2体を埋め上に大きな石を起きました。
和尚や村人を逃がし、武将たちは必死に戦いましたが鉄砲の音とともに寺は炎に包まれ、その時3人を乗せた龍が天に昇っていきました。

何年か経ち法花寺の上に三つの頭の龍が現れ、何回も上空を周り像を埋めてある石を隣の山に運びました。
和尚や村人は、龍があの武将たちだと思い毘沙門様と仁王様を掘り起こし、毘沙門堂と仁王門を作り守り神として祀りました。
今でも毘沙門様と仁王様は岩滝の守り神として、大切にされています。

各務原蘇原自然公園の北東すぐです。
※取材時と内容が変更になっている場合がありますので、お出掛けの前に、詳細は電話にてご確認ください。

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