岐阜まちなか歩き

鼕阜には大仏が居る
'15/03/26


 
以前岐阜大仏のレポートをしましたがその続編です。

奈良や鎌倉の大仏は時の権力者の威光で作られましたが、岐阜大仏は違います。

江戸時代の寛政の頃(江戸後期)金鳳山正法寺の第11代惟中和尚は、相次ぐ大地震や大飢饉に心を痛めこれらの災害で亡くなった人々の菩提のために大釈迦如来像の建立をはかりました。
1791年(寛政3年)頃から、大仏に使用する経本を集めだしますが思うように集められず、各地を托鉢してひたすら集めました。
1800年には堂が完成しました、その時には大仏の頭部のみが完成していました、1815年(文化12年)惟中は志の半ばで亡くなりました

暫く中断しましたが、第12代肯宗和尚はその志を引き継いで13年後の1832年(天保3年)、遂に大釈迦如来像は完成しました。
つまり建立に38年かかったことになります、胎内仏として薬師如来像が安置されています。
この薬師如来像は、室町時代美濃国厚見郡革手(現在の岐阜市正法寺町)の革手城の城下にあった、土岐氏氏寺の霊正山正法寺(現在は廃寺)の本尊でありました、平安時代の円仁(慈覚大師)作との伝承があります。
開眼供養の際には、織田信長公居住以来の盛儀だったと伝えられています。

今年3月で東北の大震災位より4年を迎え追悼式など各地で行われました、それに通ずるものがあります。

大仏の両側には五百羅漢像が奉られています。
羅漢は阿羅漢(あらはん)の略で、サンスクリット語の「アルハット」が語源です。
直訳すると「・・・するに値する人」「受ける資格のある人」という意味です。
これから発展して「修行を完成して尊敬するに値する人」「悟りを得た人」「悟りをひらいた高僧」を指します。
お釈迦様の弟子で特に優れた代表的な16人の弟子を十六羅漢といいます。
五百羅漢は,初めての経典編集に集まった弟子達です。いずれもお釈迦様の教えを後世に伝える大切な役割を担っています。

中国・日本では仏法を護持することを誓った16人の弟子を十六羅漢、第1回の仏典編集に集まった500人の弟子を五百羅漢と称して図像化することも盛んでありました。
ことに禅宗では阿羅漢である摩訶迦葉に釈迦の正法が直伝されたことを重視して、 釈迦の弟子たちの修行の姿が理想化され、五百羅漢図や羅漢像が作られ、正法護持の祈願の対象となったそうです。

500という数字は、多いとする意味もあります、いわゆる日本で言う八百という意味です。

入口の横に十六羅漢の一人、賓頭盧様(おびんずる)がお客様をお迎えしています。
神通に達しましたが、みだりに用いて仏陀に叱られ涅槃に入ることを許されず、仏陀滅後の衆生の教化を命じられ衆生救済に務められた人です。

岐阜駅からバスで約20分ぐらいで着きます、岐阜公園バス停より約5分です。
開館時間 9:00〜17:00 入館料大人200円子供100円
※取材時と内容が変更になっている場合がありますので、お出掛けの前に、詳細は電話にてご確認ください。

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