岐阜まちなか歩き

黷アんなところに陣屋?
'14/06/28


 
江戸時代各務原市の北西部の那加から蘇原西部一帯は、美濃国大野郡徳山郡の出身旗本徳山氏の所領でした。
初代旗本になった徳山五兵則秀は、織田信長、柴田勝家、前田利家に仕えた後、1600年の関ヶ原の戦いでは東軍について功績をあげました。
優れた戦国武将であった徳山氏は、徳川家康の信頼も厚く旧領徳山郷の他に各務郡内で西市場、山後、桐野、岩地、大島、島崎、野口の約五千石の知行地を得て、明治維新までの約250年間幕府直系の家臣として12代にわたって各務原の地を治めていました。

この地に、旗本徳山氏の屋敷が置かれ、更木陣屋の名前で呼ばれました。
陣屋とは、城を持たない旗本の屋敷を指し、その領地経営の中心として機能していました。
また、更木とは西市場が中世以降更木郷と呼ばれ、現在の各務原市那加地区西部の中心地区に位置していたことから、その郷名を総して呼んだことに由来します。

旗本徳山氏は江戸に屋敷を置き通常は幕府の役人として暮らしています。
そのため自らの領地で得られた収入で生活していますが、徳山氏自身が領地まで赴くことは稀で、更木陣屋には主に家臣が常駐し領地の経営にあたっていました。
初代本所築地奉行に任ぜられ、本所、深川といった江戸下町の町造りに尽力した旗本3代目徳山重政は、幕府務めの傍ら石燈篭を江戸で造らせて西市場の神明神社へ奉納した人物として知られています。
石燈篭は各務原市指定文化財です。

旗本徳山陣屋公園は、更木陣屋絵図と平成12年実施された発掘調査をもとに江戸期陣屋風景を再現しました。
更木陣屋絵図は各務原市指定文化財です。
実際の表門は南向きで外側に広い堀を持っていました。

また陣屋の敷地は、この公園よりさらに広く庭を含めれば、周辺の民家辺りまで及んでいました。
敷地内には、池が配置され情緒ある日本庭園があったことが想像されます。
陣屋内部は役所を兼ねた屋敷といった趣であり、陣屋玄関付近には使者の間や書院などが配置され、主に公務に用いられた場所ということが分かります。
一方屋敷の奥は、座敷や台所、使用人の部屋等主に生活の空間としてつかわれていました。

広さ0.45haあり、建物跡などの遺構は枕木や石、植物などで示されている他、白壁の門、復元井戸、池などが配置されています。
また、園内にはエゴノキやウメなどの樹木が植えられていて、2006年(平成18年)、日本の歴史公園100選に選出されています。

旗本徳山陣屋公園の所在地は岐阜県各務原市那加西市場町3丁目ですが、田園地帯の中にある集落の中に有ります、幹線道路から中に入りますので分かりにくいです。

岐阜バス、尾崎団地線「琴ヶ丘」バス停下車、徒歩約10分くらいです。
※取材時と内容が変更になっている場合がありますので、お出掛けの前に、詳細は電話にてご確認ください。

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