岐阜まちなか歩き

黷ヤたれ坊
'14/05/24


 
ぶたれ坊と聞いて、思い出す方はいますでしょうか?
日本歴史街道 加納宿?で中山道加納宿のレポートに出てきます。

岐阜新聞の民話の里めぐりによりますと
岐阜市の茶所に伝わる民話「ぶたれ坊」は、江戸時代の力士鏡岩にまつわる話。
二代目鏡岩源之助は力士引退後、中山道加納宿で宿屋を営んでいたが、奉公人をこき使うなどひどい経営をした。
それを和尚にいさめられて改心した源之助は、自分と同じ大きさの木像を作り、罪滅ぼしのつもりで旅人に棒でぶたせた。
ぶった旅人にはお茶を振る舞ったことから「茶所」という地名が生まれたとされる。
と書いてあります。

そのお寺「妙寿寺」は廃寺となり現在はありません、ぶたれ坊の像はこの妙泉寺に移されました。
現在、祖父江鳳誠住職は「今ではお参りしをしてもぶつ人は一人もいません」という。

鏡岩源之助という力士はどんな人だったのでしょうか。
1855年9月29日(旧暦8月19日)に、美濃国羽栗郡(現:岐阜県羽島郡笠松町)で生まれ、本名は加藤助三郎(かとう すけさぶろう)と言います。
父親は鏡岩濱之助(通算 19場所 85勝38敗8分2預13無32休)というしこ名で小結まで昇進した元力士、当時強豪だった雷電爲右エ門から殊勲の星を挙げたこともあるそうです。
雷電爲右エ門、通算黒星が僅か10敗で勝率が.962で、大相撲史上未曾有の最強力士とされています。

中山道・加納宿で宿屋を営んでいたが父親と同じ相撲の道へ進みました、1826年1月場所で幕内付出しで初土俵を踏んだ。
しかし1勝もあげられず、同年10月場所を最後に僅か2場所で現役を引退したそうです(通算幕内成績:6敗4休)。

妙泉寺、日蓮宗のお寺ですが、現在庫裏などは新しい建物でお寺のイメージはないです。
ぶたれ坊は鬼子母神と書かれた石柱が有る御堂の中にあります。

JR岐阜駅南口を出てすぐのところにありますが、周りの住宅に紛れ込むように一見お寺に見えにくいので分かりにくいかもしれません。
駅から出て、交番の横を通り西へ徒歩5分程度の所です。
※取材時と内容が変更になっている場合がありますので、お出掛けの前に、詳細は電話にてご確認ください。

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