岐阜まちなか歩き

齟山道52番目の宿場?
'14/04/18


 
中山道鵜沼宿、江戸から京に向かい52番目の宿場町です。
前回に続き中心より西側を歩きます。

鵜沼本陣跡、本陣とは大名・公家など身分の高い人々が利用する宿泊施設です。
本陣は江戸時代を通じて桜井家が務めていました、桜井家は本陣・問屋・庄屋の三役を兼ねていたと伝われています。
寛延2年(1749)十代将軍家治に輿入れした五十宮が宿泊したのをはじめ多くの姫君が宿泊したり休憩したりしました。
地図作成で有名な伊能忠敬ら測量方も、文化6年(1809)に宿泊しています。

本陣の横には脇本陣があり、その前には現在菊川酒造、昔の河内屋武藤家が有ってここから旧家の町屋が有ります。
街並みとオープンになっている水路が落ち着いた感じを醸し出していて、歩いていると落ち着きます。

坂井家住宅(丸一屋)、明治27年の建物で中山道に向かって門を構え前面に塀をめぐらしています、主屋は切妻造りの破風を付け式台玄関を設ける格式高い造りです。
梅田吉道家住宅(茗荷屋)、江戸時代には旅籠屋を営んでいました、建物は約160年前に建てられたものです、主屋には袖うだつがあり窓には縦格子が入れてあります。
梅田昭二家住宅、明治元年に建てられたとされています、木造二階建ての切妻造りで中央に玄関が有って、左に鉄格子右に木格子が入れてあります。
安田家住宅(若竹屋)、かつて若竹屋という旅籠屋を営んでいました、昭和5年の新しい建物ですが軒の高さや表構えを周辺に揃え街並みを今に伝えています。

整備された道路を過ぎると、また一般住宅地に入り登りの道になります。

西に向かうと、木曽川泥流堆積物と言うのが有り、脇本陣の庭にも確認されています。
75万年前から活動している御嶽山が5万年前に大崩壊を起こし、溶岩礫を含む泥流が各務原台地までたどり着いたものです。

この辺りに西の見附があり、鵜沼宿の西の入り口です。
残念ながら、東と同じで遺構は残っていません。

その他、中山道沿いには衣装塚古墳、県指定史跡などが有ります。
ここ中山道を歩いていると、斜面にある云われが有るかのような祠や、生命力があるクロガネモチの木など発見できおもしろい町歩きが出来ました。

鵜沼宿中心部はJR鵜沼駅、名鉄新鵜沼駅徒歩約20分のところです。
※取材時と内容が変更になっている場合がありますので、お出掛けの前に、詳細は電話にてご確認ください。

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