岐阜まちなか歩き

齟山道52番目の宿場?
'14/04/03


 
中山道鵜沼宿、江戸から京に向かい52番目の宿場町です。
東西に約840メートルあり中央を流れる大安寺川で東町西町に分かれます。

天保14年(1843)の記録によると、宿場内の人口246人、家数68軒となってます。
本陣1軒、脇本陣1軒、旅籠25軒あったそうです。
今回は東側を歩きます。

宿場の入り口には見附があります、見附と言うのは宿内の防御と街道との境を示すためのものです。

東の太田宿方面から鵜沼宿に入ると東の見附がありましたが、現在その遺構は残っていません。
峠を下って鋭角に曲がって宿場に入ります、この地には赤坂の地蔵堂があります。
地蔵尊には、宝暦13年(1763)女人12講中と書かれている他東は善光寺道西は在所道と書かれ、道しるべにもなっていて江戸時代から大切にされていたようです。

そこから西すぐに高札場があります、高札とは江戸時代に法令や禁令を書いたものです。
町民や旅人が目につきやすいこの場所にありましたが、明治時代に高札が廃止され無くなりましたが、ここからもう少し西の21号バイパスの交差点にモニュメントとして復元してありました。

高札場跡を過ぎ道を下っていきます、次の交差点には道標があります、東向きにここは中山道鵜沼宿これよりうとう峠。

そして、先に書いた21号バイパスに出ます、高札の他に尾州領傍示石など歴史の遺産が並べられています。

これより西に行くと宿場の中心に入ります。
道路整備されていて、電柱も地中化され見通しが開けて古い街並みがあります。
大安寺川を渡り、町屋会館・脇本陣など建物の中に入り見学ができます。

町屋会館前には、旧大垣城鉄門が市の重要文化財として残されています。
大垣城本丸の表口に建てられていたものを払下げ、蘇原の安積家の自宅門に設置され安積門と呼ばれていました。
規模の構造から高麗門と呼ばれ、主に城門に利用されている構造です、また、もう一つの特徴として正面の木部を鉄で覆い、火矢から守るとされています。
この門と同様な高麗門に鉄を覆った遺構は、名古屋城二之門、大阪城大手門の二例が現存しています。

町屋会館から少し西に、本陣脇本陣と続きます。
※取材時と内容が変更になっている場合がありますので、お出掛けの前に、詳細は電話にてご確認ください。

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