岐阜まちなか歩き

黷、だつが目立つ脇(鵜沼)
'14/03/20


 
前回と良く似た始まりですが、ここ各務原市の鵜沼宿にもうだつが目立つ建物があります。
中山道鵜沼宿にある、脇本陣です。

新しい建物で、平成22年から公開しています。
明治になっても脇本陣の建物は有ったそうですが、明治24年の濃尾震災で倒壊したと伝えられてるそうです。
この脇本陣は、江戸時代末期の鵜沼宿各家の間取りを描いた鵜沼宿家並絵図をもとに、宿場町の歴史を未来へ継承するため、現存する脇本陣の外観や内装意匠などを参考としながら、鵜沼宿の脇本陣を務めた坂井家の建物の姿を現代に復元したそうです。

脇本陣を務めた坂井家は、本陣であった桜井家の西隣に位置しています。
桜井家に残された江戸中後期の鵜沼宿万代記等には、宿の世話役や多くの大名や役人などの接待を度々務めた、当主坂井半之衛門の名を見ることができます。
文化年間頃の街道の様子を描いた中山道分間延絵図には、本陣に隣接する脇本陣の門と切妻屋根の家屋の外観を見ることができるそうです。
坂井家は、幕末の安政年間になると脇本陣を東町の野口家に引き渡し、以後は一般的な旅籠として営業しながら明治時代に入ったそうです。
現建物の復元の基となった鵜沼宿家並絵図は、脇本陣が野口家に引き継げられた後の物と思われているそうです。

岐阜市、大垣市と同様にここにも松尾芭蕉の足跡があります。
野ざらし紀行の途中この脇本陣により滞在したと伝われているそうです。
その三年後も訪れ句を詠んだそうです、そしてまたすぐに訪れ菊花酒のもてなしを受け即興で楠の化石に句を彫ったそうです。
全国を旅した芭蕉なのですが、岐阜にたびたび来た足跡が残ってます、それだけ岐阜が気にいってたのでしょうね。

内装も復元されたものですが、上段の間と言うところは専用の湯殿、雪隠を備えた大名や公家、幕府の役人などが宿泊した際に使用した部屋だそうです。
記録によると享和元年、水戸徳川家に献上するための御茶壺道中が本陣に宿泊した際、宿泊の重なった宇和島藩主伊達遠江守が、脇本陣に宿泊したそうです。

庭の造作や意匠は記述されていませんでした、復元にあたっては築山に地域に自生する樹木を配し、隣接する二ノ宮神社へ続く斜面の風景と調和した庭園とし石積みは昔に造られたものを残しています。
また、敷地奥の階段の先には、台地の上から鵜沼宿を眺められる芝生広場になっています。

入口は門のある玄関ではなく、西側の木戸のところです。

入館料無料。
JR鵜沼駅、名鉄新鵜沼駅徒歩約20分のところです。
※取材時と内容が変更になっている場合がありますので、お出掛けの前に、詳細は電話にてご確認ください。

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