岐阜まちなか歩き

鼡tさに流れる川湊
'14/02/21


 
羽島市竹鼻の町中を歩いていると、住宅の前に灯台が現れました。
しかも、住宅の玄関先にです、海にある背の高い灯台ではなく川堤防にある常夜灯なのですが。

川町灯台と呼ばれ、ここから東に行くと逆川(ぎゃくかわ)があります。
現在は整備された逆川、昔はこの灯台のところまで川が来ていたのでしょう。

逆川、まさに逆に流れる川、長良川も木曽川も北から南へ流れています。
その両川に挟まれた、この川は南から北に流れています。

天正14年(1586)六月木曽川が氾濫し、主流路が境川筋から現在のように羽島市の東境を流れるようになりました。
この新河道によって尾張国葉栗郡と中島郡、さらに下流では海西郡が二分されました。

全国統一の途上にあった豊臣秀吉は、木曽川右岸となった村々を美濃国に編入しました。
尾張国葉栗郡であったところは、美濃国羽栗郡に、尾張国中島郡であったところは美濃国中島郡となりました。
この辺り洪水がよく起こり、その当時木曽川本流の水が激しく流れ込む大河・逆川を作りました。
竹ヶ鼻城の城下町であった竹ヶ鼻町は水量の豊富な逆川の舟運を利用することで、この地方の商業中心地として大きく発展しました。

また竹鼻町は駒塚街道と竹鼻街道の中継地にあり逆川を利用した水運で商業地として栄えました。
川湊の碑には、常滑の焼き物や塩・海産物等生活物資や、年貢米の積み出し等が行われていたと書かれてます。

18世紀後半から盛んになった美濃縞織の機織に多くの女性が従事しており、笠松より南の村々の機綿屋が300軒余を数えたとの記録もあるそうです。
寛政3年(1791)桑原輪中尾張藩領の一二ヶ村は織物生産によって農業奉公人が減少したことについて善処を願い出るほどでした。
織物生産に伴って染色業も発達し、羽島市域は逆川沿いを中心に美濃随一の生産地でした。
川沿いには、材木工場、瓦屋、染色工場、織物工場等が並び、各輸送にも、川町湊を利用しより栄えたそうです。

他の川湊と同じように、鉄道・道路の整備発展によりその役目が終わりました。
羽島市は昭和前期の排水施設の整備により豊かな農業地帯として成長、かつては大河川であった逆川も、現在は小さな排水河川となり、その河川敷は市街地に変貌しました。

河川も整備され、住宅地も整備され川湊は、川町灯台と川町湊跡の碑があるだけです。

名鉄羽島市役所駅下車、東に行くと逆川があり、北に行き竹鼻橋を越え川町橋手前です。
川町灯台は、川町橋西の交差点にあります。
※取材時と内容が変更になっている場合がありますので、お出掛けの前に、詳細は電話にてご確認ください。

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