岐阜まちなか歩き

齠ケ三公隠居城
'14/01/19


 
金華山より北東に見える小高い丘にが鷺山です。
高さは標高68メートルです、周りが平地であり展望は思うより良いです。

城が出来たのは、鎌倉時代の文治年間(1185年 - 1190年)、佐竹常陸介秀義が築城したとされてます。
岐阜城が1201年となっていますから、それより前ということなんでしょうか。

室町時代、美濃国守護大名である土岐氏の城となる、文和2年(1353年)に川手城が築城されると、鷺山城は次第に衰退するが永正年間、土岐頼芸が鷺山城を再興し、川手城に入るまで居城しました。
享禄3年(1530年)斎藤道三公により土岐氏が追放され、道三公が稲葉山城(岐阜城)に入城したことにより再び衰退しました。
天文17年(1548年)、道三公が家督を息子の斎藤義龍に譲って鷺山城を改修して鷺山城に隠居しました。

以前レポートした道三塚でも書きましたが、斎藤義龍は道三公の嫡男として生まれた、しかし一般的な話として道三公の実子ではないとなっている。
実父は土岐頼芸と言う説もあり、この噂を利用して道三公は旧土岐氏の家臣団を斎藤氏に取り組むのに成功した、この様な経緯から道三公と達義の仲は悪かったとされている。
家臣達の策略もあり家督を義龍に譲り隠居した道三公であったが、義龍との不仲は続いていた。
しだいに道三公は義龍よりも弟達を寵愛して行くようになり、家督を孫四郎にと思うようになり両者の仲は最悪の状態になった。
弘治2年(1556年)に義龍と道三公は長良川で戦い、道三は討死し、鷺山城は廃城になりました。

鷺山に登るのには、南から北野神社横からか北側の小学校前から登れます、低いので西からもある感じです。

山頂に碑が建っていて城の主郭部であった所だと思われ、遺構として礎石と思われる石、土塁、堀が残っています。
建設用の土砂採掘の場であったが現在は中止されています。

道三塚はここより東へ約800m行ったところです。

バスJR岐阜駅より約25分、さぎ山小学校北下車すぐです。
※取材時と内容が変更になっている場合がありますので、お出掛けの前に、詳細は電話にてご確認ください。

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