岐阜まちなか歩き

テレビで話題
'13/05/27


 
ここが有名になったのは、ごく最近です。
NHKの大河ドラマ「江、姫達の戦国」でゆかりの地として放送されてからです。

江の2番目の夫であった豊臣秀勝は、岐阜城主となりました。
姫路城を現在の名城とした池田輝政の後、城主として秀勝は入城しましたが1年少しの城主となりました。

岐阜城は、ご存じの通り織田信長公の天下統一の拠点となった城です、城の西にあるここ八幡神社には、秀勝が城主となった際、神社に寄進したという記録が残されています。
文禄元年(1592)、秀勝は「文禄の役」(朝鮮の役)に出陣、遠い異国の地で病死してしまいます。
最愛の夫の死後、江は運命をさらに奔走していくのです、ドラマの表現的なことは多々テレビ的に史実ではないような事がありましたけど。

主祭神は、應神天皇(おうじんてんのう)で摂末社祭神として神功皇后(じんぐうこうごう)武内宿禰命(たけのうちのすくね)が祀られているそうです。
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境内にある石碑にしっかりと書かれているのですが、私として読めない所もあって申し訳ないです。
應和二年創祀で、村上天皇應和二年国主美濃権守多田満仲勧請なり、相続て美濃守頼光美濃守頼信当国主たるに依り崇敬あり等書いてあります、あっているかな。??
移転や合併などを経て土岐氏や織田氏等時代に寄付などを受け、明治時代の村の合併で十二村第八区郷社と定めらるて、昭和9年6月15日無格社秋葉神社境内神社に合併しする。
昭和20年の岐阜空襲で消失し、区画整理に伴い現在の敷地となり昭和61年に本殿の修理と拝殿の建設をして現在に至る。

道路側から境内に入ると鳥居があります、そこから結構長い真っ直ぐな参道で両側に灯籠が並んでます。
その途中、八幡神社の由緒の碑や光泉寺の礎石や由緒の碑などがあります。

そして突き当たる所が拝殿です、その前に狛犬が一対います。
その後ろに本殿があり、その前にも狛犬が一対います。
本殿の敷地には柵がしてあり、その中にも狛犬が一対、計6匹の狛犬がいます。

道路側の入口には、江人気によって碑が建てられました。
豊臣秀勝と江ゆかりの社として、岐阜宰相と呼ばれた岐阜城主の時この神社崇敬の念が篤つかったと記録があると書かれてます。
碑の半分は江のことのように読めますが、江がこの寺に関係したかと言うことは分かりません。
碑の前には、織田家豊臣家徳川家の家紋があります。
この三家の紋があるのはスゴイですが、実際どうなんでしょうね。

JR岐阜駅より、曽我屋線約20分菅生バス停下車徒歩5分ほどでつきます。
※取材時と内容が変更になっている場合がありますので、お出掛けの前に、詳細は電話にてご確認ください。

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