梶川堀
織田信長は、永禄10年(1567)、稲葉山城(後の岐阜城)主となり、当時の井ノ口(後に信長が岐阜と改名)に本拠地を移し、すぐに城下の整備を始めた。この梶川堀から東側には武家屋敷、西側には町屋を配置した。慶長5年(1600)以降、梶川堀より東側の地区は、古屋敷村となった。「梶川」とは、信長の臣下だった「梶川高盛」の屋敷が、堀の近く(現在の常在寺内)にあったことに由来するとされる。現在は、開渠になっている部分も少なく、また堀が狭いため、あまり人々の目に触れることなく、静かに流れている。
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